pen 2013年2月1日号
古本まつりのアルバイトの初日だけいっしょに働いたNちゃんという同じ大学の美少女と話したことがいまでも印象に残っている。Nちゃんはモデルの玉城ティナに瓜二つの美しい子で、来春大学を卒業したら美顔器を売る会社に勤めると言っていた。美顔器使ってそうだし社割で買えたらラッキーやねと言ったら、そうなんですよ!としゃべるたびに人形みたいな整った顔がくしゃっと笑って恋なんてどこにでも生まれるもんだなとか考えた。そんなことは置いておいて、彼女は第一印象でもあまり本、とくに古本に興味があるようには見えなくて、聞いてみると古本まつりに参加したのはこのアルバイトが初めてだと言っていた。わたしは芸大生という肩書きながらもやっていることは文章表現の練習や研究なんだけども、そういう学科にいることを話すとNちゃんも興味があると話した。そのあとのせりふがとても印象的だった。
「わたし本を読みたくて計画表なんかまで作ってたんですけど、図書館に行っていざ借りてもぜんぜん読めなくてだめだったんですよね、でも本を読んでいるひとって話がおもしろいじゃないですか、わたしもそういうふうになりたいんです」
拍子抜けだった。なにが?って感じかもしれないけども、本を読んでおもしろい話ができるひとになりたい、でもなかなかできない、なんて、プライドが高くて知ったかぶりで全身を塗り固めて生きてきたわたしには絶対に口にできないことを彼女がさらりと言ってのけたことに拍子抜けしたんだった。本とどう向き合うべきかと毎日悩んでいたわたしには救世主のような、原点に導くようなことばだった。わたしもNちゃんに続いて、「わたしも課題図書が山ほどあるのにぜんぜん読めてないんだよ」と言った。胸は痛んだけどすこし心は軽くなった。それだけのこと。
かつてわたしらは「本を読んでかっこいいことを言えるようになりたいね」なんてだれもが内側に秘めているであろう恥ずかしい欲をさらけ出したことがあるんだろうか。わたしはしなかった。ずっと「そのくらいできますよ」って顔をして生きているつもりだったから。できていないのだ。知れば知るほど、読めるようになればなるほど「読める」到着点が遠く遠く感じる。本を読むことにゴールなんてないんだろう。わたしはすぐに疲れるし完全を求めるから本を理解することへもすぐゴールしたくて、わかった気になって安心したがる。「本をちゃんと読めるひと」というあたかもかっこよさそうな偶像に対して承認欲求がないNちゃんの潔さはとてもかっこよかった。純粋に本を楽しむことはなんにも悪いことではない。次に会ったとき、おもしろかった本の話をしたくて本を読もうと思った。不純なんかじゃない。
